胸を失った悲壮感はない(追記あり)。
先日テレビで乳がん特集をやっていた。
私の治療方針は決まっていて、あとは粛々とこなしていくだけの状況にあるがなんとなく気になって見てしまう。
内視鏡での手術とか、すげーなー、とか思いながら見ていたが、正直「?」と思う場面もあった。
再建クリニックでの取材にあわせてナレーターが原稿を読み上げる。
「女性にとって乳房を失うことはなにごとにも耐えがたいことである」とかなんとか。
う~ん、正直その表現には共感できない。
私は方胸全摘したけど、悲しいと感じたことはない。
強がりでもなんでもなく。
温存ができなくもない状態で全摘のメリットを選択したのは私。
今も納得している。
再建も関心はあるけど、自分の中での優先順位は高くはない。
家族で海外旅行行ったり、将来に備えて貯金したり、今年はトレンチコート買いたかったり、そういうののいくつも後が再建。
あるに越したことはないけど「病気なんだから仕方ない」と言うのが正直なところ。
全摘を選択した当時は精神安定剤的に再建事例のホームページとか見てた。
今は見てないけどあれには助けられた。
同時再建も勧められたけど手術の順番待ちがかなりありそうだったので諦めた。
最初っから「胸なんてなくてもいい!」と思っていた訳ではない。
でも今は片方ない胸にも慣れた。
慣れたというか愛着すらある。
もし今日神様が現れて、「魔法であなたの胸を再建してあげます!」って言われたら、「ひゃっほー!お願いします!」って大喜びだけど、それでもない状態の胸にもなぜか愛着がある。
頑張った自分の証しだという思いがある。
胸を失って悲しい思いをしている人や再建される方を否定する気は断じてない。
ただ、こういう人もいますよ~、とせっかくブログやってるんでちょっと言ってみたい。
病気だけど、心配してくれるのはありがたいけど、私は性格的に「悲しいでしょ、泣いていいのよ。」みたいなのはちょっと…、いや、だいぶ苦手。って言うか、ごめん、ぶっちゃけ無理。そんなこと言われたら逃げ出す(笑)。
乳がん患者とひとくくりに言っても、年齢も価値観もバックグラウンドもさまざま。
いろんな選択肢があっていいのではないでしょうか?
最後に息子が最近国語の授業で習って家で音読する金子みすずさんの詩を。
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のやうに、
地面(じべた)を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
温存したって全摘したって、再建したってしなくったっていいじゃない♪
お読みいただきありがとうございます。